山小屋のおやじのページ


このページは美ヶ原高原開発者「山本峻秀(やまもとたかし)」のページです。


ご紹介(作成者の独断です。おやじさんすみません)

美ケ原高原ホテル山本小屋では通称「やまごやのおやじ」で、通っています(?)
毎晩、「美ケ原の四季」のスライドを、ご自身で楽しいエピソードを交えながら上映します。
大体30分から45分くらいで終わるのですが、気合が入ると、スライドが終わった後もお客様と深夜まで話し込んでしまうこともあるようです。
従業員はお年もお年なので心配しているのですが、まだまだ山で鍛えた体力は若い者には負けない!とのことでした。
大正10年6月5日生まれの45歳?だそうです。
見かけましたらどうぞお気軽に声をおかけください。
とってもきさくな「おやじ」さんです。

おやじさんからのご挨拶文をいただきました。

 父の見出した高くて広くて美しいという3つの条件を兼ね備えた上に、3,000メートル級の山並みを48座数えられる、日本一の地理的環境に恵まれたここ美ケ原高原を、一人でも多くの皆様にお見せしたいと志して、父の代から80年、苦難の道を乗り越えて一日も山小屋を閉じることなく皆様をお迎えさせていただき、多くのファンのご支援をいただいて、当初年間百人足らずであった登山者が、今日年間200万人ものお客様に訪れていただく大衆的観光地となりました。
 旅の目的は、その地における自然と文化の探勝だと思います。
 自然は無限の知識の宝庫だといいますが,知識の貯蔵量は、その人の持っている知識と経験の長さと同じ量だけ増えていくということで、その土地の自然や、文化に対する疑問・質問は、その地に永く住む人に聞くことが一番早道だと思います。
そのような意味で、私はこの美ケ原高原ホテル山本小屋で、毎夜自作のスライドを通して、2千米の山頂で80年の間に体得した、美ケ原での自然と文化をお話させていただいております。
 四季を通してそれぞれの変化に富んだ高原をお訪ねください。心からお待ち申し上げます。
山小屋のおやじ 山本峻秀
山本峻秀略歴
 大正10年6月5日、長野県小県郡丸子町に生まれる。
昭和9年、丸子尋常高等小学校を卒業、県立丸子農商学校に入学、14年同校卒業。
昭和20年10月、復員後、父俊一の後を継いで美ケ原高原の開発と山本小屋の経営にあたる。37年10月、美ケ原高原ホテル建設。
 以後、ホテル経営のかたわら、、全国民営国民宿舎理事、国民宿舎甲信越支部長、長野県自然保護指導員、全日本スキー連盟公認美ケ原スキー学校長など、多方面で活躍。
 昭和40年、ヨーロッパ各地のスキー場を2ヶ月間視察。45年、アメリカの国立公園各地を視察。51年3月、エベレストトレッキングに参加、ネパールヒマラヤ山麓を探勝する。59年2月、ヒマラヤトレッキングに妻同伴で参加。
(社長著書 「美ケ原讃歌 -山頂に生きて半世紀 -」より)


やまごやのおやじの独り言


やまごやのおやじの独り言・・・と称して、社長さんの執筆された文章を、少しずつ紹介していきたいと思います。
どうぞ、ご覧ください。


1.薪ストーブと兄



2010 美ヶ原高原ホテル山本小屋